設定備忘録

物語の設定が思いついたら書く、もはや設定ですらないものも

向こう見ずのフラフラ青年


カメラを始めよう。
身の回りにはやっぱり綺麗ものが含まれているし
眼に映るその素晴らしさをそのまま保存しておきたい。
たとえ定期的に見返さなくても
映ったその素晴らしいものが。

というかね、情報の取りすぎなんだよ
ツイッターにしろなんにしろ
身近に起こったほのぼのした話は身近に起こるだけでいいんだよ。
わざわざ検索して辿ることではないのだよ。
道徳的観念は本来ネットから取り入れるべきことではなく
実際の生活や学校で行われるべきこと。
しかしそれがなされてないからネットでの必要性が増えている。

どんな生活を送っているのだ。

タレントやアーティストは作品がある
眼に映るので憧れの対象になりがちだが
この暑い中せっせと働いてる人に尊敬の念はないのか。
ぶっちゃけていうと半々だ。
大変だろうなとは思うが自分がそこになりたいとは思わないから。
いや、思わないからといって尊敬できないになるのか、いや違う。
辛そうだからか。
なんとなく働いてる人というのは
尊敬出きるか…いや
できるか
何もなくても淡々とこなせるということに尊敬する
嫌味ではない。
それでも働くしかないという状況に俺が追い込まれたことがないからだ。
憧れはなんだ。

恋人に依存しない幸せ。
希望すること。

やはり転々としながら
各地を巡りつつ
物書きをしたい
そこを題材とした脚本を。
世界にはファンタジーの入り口のような世界も広がっているだろうし、
ぶっここにいたいという綺麗な景色もひろがってる。
それを毎日のように見て生活できる方法はないものか。

物書き、面白いものを書きさえすれば誰も文句は言わないし
お金がもらえるのだからこんなに素敵な仕事はないんじゃあないかと思う。
1つことに従事して淡々とこなすのがどうやら苦手なのだ俺は。
かといってクレイジーな発想ももっていないし、
踏み出す勇気もない。
いや、今が踏み出すとき。
少しだけ踏み出そう。

目の前のことだけしか見ていなかったが
ちょっとしたプラン

仕事をしながら脚本を書き応募する。
お金の余裕が出て来たら学校にも通って みるかも。
その傍 カメラも勉強して、目にした風景や
大事な人たちの素敵な瞬間を留めたい。
カメラや映像だけは時間を止めてくれる。
最終的に生きる気力を湧き上がられせるような自分が時たま感じられる幸せをみんなが感じられるようになる作品を描きたいし、
そんなメッセージ性抜きで娯楽として面白いものを書きたい。
小さい時に、話を考えるのが好きだったあの時。
アレを思い出すわけじゃないが、それの延長として生きたい。
荒木飛呂彦先生の言う人間賛歌それを俺も持って書きたい。